●平成14年 9月 ■月々に千金を投じて百年のあいだ犠牲をささげようとも、
一人の自ら修行した人に、たとえ瞬時のあいだでも供養
したならば、この供養はその百年の祭祀よりもすぐれている
【法句経】
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平成14年10月 ■定と思えば定 不定と思えば不定
(生きるということは、自由になること。
心を一つのことに固定してしまうと、ものの一面性しかとらえられなくなる。)

【法然上人法語】
●平成14年11月 ■山として入るべき無く世として避くべき無し
(こんな苦しい人生を逃れて、どこか遠いところへ行って、
心安らかに暮らしていきたいと思う。
でも、この地球上で、そんな楽天地があるわけがない。
人間のいるところは、どこへ行っても、欲と欲がぶつかりあい、
我執と我執が争いをやめない。
心安らかな天地は、山にもなく、世にもない。
あるのは、自分の心の中なのである。
貧らない心で、自分の心を満たす。
執われない心で、自分の心を磨く。
その中に、心安らかな天地があるのだ。
人と人の絆の中で、仏の平安の心を磨きあうことができれば、
これ以上の幸せはない。)

【聖徳太子】
●平成14年12月 一大事を申すは今日只今の心なり
人生で一番大切な日はいつかと聞かれて、
さてと首をかしげる人は、ここで一度立ちどまって、
肚を据えて考えることだ。
生きることの大事なことは言うまでもない。
その確実な生命のある日は、今日だけだ。
今日の中でも、いまというときを、どう生きるかが大事だ。
人生に「そのうちに・・・」はない。「いずれまた・・・」もない。
あるのは、「今」なのだ。
この今を勝負に出ないと、勝負に参加することは出来ない。
自己実現のチャンスは、いま、ベストに生きているか
どうかにかかっている。
いま、いい加減に生きていて、いつ、
ベストに生きられるだろうか。
人生の一大事は、今の一瞬を燃えているかどうかなのだ。

【正受慧瑞】
●平成15年1月 ■一切の法はただ道理の二文字なり
他人のことがむやみにうらやましく、
ねたましいと思ってしまう人がいる。
卑しい中傷が顔を出す。
ハイエナのような目つきになり、死臭をかぎわける。
自分がどんなに醜いことをやっているか、わかっていない。
道理に暗いからなのだ。
人生を力強くいきていくには、自分の生きざまが、
道理にかなっているという確信に満ちていることが大切だ。
他人を傷つけることなく、常に自分を謙虚にして、
我執にとらわれることなく生きていくことだ。
人は生きながら磨かれ、光を増す。
陰徳をつむことだ。

【慈円】
●平成15年2月 ■仁過ぐればよわくなる
人は自分の好むものにどうしても執着してしまうものだ。
仁に執(とら)われると、どうしても決断力がにぶってくる。
義にこだわると、どこか堅苦しくなってくる。
執われると自由な発想がひからびてくる。
人生を生きるとき、執われていると自由を失ってしまう。
心はできるだけ自由にしておかないと、生きにくくなる。
中庸をとり、執われることなく、心を自在におくことが
生きるうえで大切である。
【天海】
●平成15年3月 ■一切衆生は皆同一仏性なり
自分を他人と比較して、つまらんことで、優越感にひたる。
人間として最も卑しい人種なのだ。
人間は、生まれながら、一切平等だ。
生まれた子どもを見ればすぐわかるではないか。
自分だけが偉く、特別なのだという意識があるうちは、
尊敬をうけることはない。
心の中に、人間は一切平等なのだと堅く信じている人は、
誰からも尊敬される。

【叡尊】
●平成15年4月 ■篤く三宝を敬え
出家をすることは、この世の一切の栄達や富貴の
可能性を捨ててかかることだから、
凡夫の私たちにはとても考えられない決断力がいる。
妻もめとらず、財宝も貯えず、
衣鉢のほかは何も持とうとしないのだから、
いくら供養してもしすぎることはない。
仏を敬うのは、もとよりのこと、
経典に書きしるされた法の心を敬うことも、大事なことだ。
凡夫は、この仏・法・僧を篤く敬って、そこから、
俗世で汚れきった心を清らかにしてもらうのである。
篤く仏・法・僧を敬っていけば、人生、道に迷うことはない。


(※出家者も心しておきたい言葉である)
【聖徳太子】
●平成15年5月 ■足らで事足る身こそやすけれ
人間の欲望ほど限りのないものはない。
手に入れば入ったことで満足すればよいのに、さらに欲しくなる。
欲望は強くなり、身をこがすところまでくる。
おさえられなくなってくる。苦しみは大きくなるばかりだ。
人生で心を安らかにしようとすれば、欲望を、
てきとうなところでおさえることだ。
最初から、このあたりまでくれば、上々だと決めてかかる。
それが達成できたら、そこで満足して、人生を味わうことだ。
まず、足ることを知らなくては、心の平安はえられない。
心の平安でない人生は、価値がないのだ。
足る事を知る人には、人生を生きぬく力がみちている。


(※自分への戒め)
【天海】
●平成15年6月 ■月影は眺める人の心次第なり
月の光が大地のうえにあまねく注がれている。
じっと見ていると、その清々しさに声も出ない。
銀一色に光る万物のすばらしさに心を打たれてしまう。
まさに、仏の姿そのままである。
人生を見る心をどう養っていくか。
自分の心をどう磨いていくか。
月の光を眺めていると、自分の生き方が、
しきりに反省させられる。
人生の幸・不幸は、
結局、自分の心のありがたで決まっているのだ。
明るく、こだわりなく、今日一日に努力を結集していけば、
人生はゆたかなものになるのだ。

【法然】
●平成15年7月 ■一切の煩悩は機の抜けたる処より起こる
人生の勝負は、今日一日をどういう心ですごすかにかかっている。
全力を注いで、自分がいまやりたいことを、
見事にやりぬくことが大切だ。
真剣な一日のうえにのみ、人生は光を放つのである。
自分を贔屓にしていては、ただ甘くなるだけだ。
一分一秒を惜しんで、自分の心を燃やしていくことだ。
光を放つ人を見ると、謙虚に学んで自分もそういう
人格をもてるよう努力したい。

【鈴木正三】
●平成15年8月 ■生ける時 善を作さずんば死する日 獄の薪とならん
人生は戻ることのない片道切符の一人旅だ。
この一人旅を二人旅にするか五人旅にするかは、
本人の人生で善をどれだけしていくかで決まってくる。
善をなすことは、苦しみを忘れるうえでも、
実にすばらしい行だ。
せっかく生かしてもらっているこの人生を、
よりゆたかなものにしていくには、
小さな善縁をいくつも積みあげていくことだ。
和顔愛語をまわりに施して生きるのだ。
まわりの人々の傷をいたわって、
一緒に苦しい人生を生きるのだ。

【最澄】
●平成15年9月 ■地獄の苦を受くるとも 諸仏の名を聞け
人生で仏の名を聞き、その教えに耳を傾ける人は幸せである。
めったに出会える縁ではない。
先祖代々、いくたびいくたびも、代がかわってきたが、
仏法にめぐりあった人はきわめて少ない。
そでが、いま、自分の代になって仏法に会えたのである。
貪欲にふりまわされて一生を苦しみの中に送るところを、
仏法に出会って、救われたのである。
欲望をおさえ、怒りを断ち、無明から脱出する。
人生の喜びは、これ以上ない。
人間としてまともに生きる力を、仏法からもらえる喜びは、
比べようもないほど尊いことだ。

【源信】
平成15年10月 ■いかん中にも よいこともあり
医師は病気を治そおうと一生懸命になってくれる。
実にありがたいことだ。
しかし、病人にとって、病気は悪いことばかりではないのだ。
今まで忙しくて、人生の何であるのか全くわからなかったひとが
ベッドで小鳥のさえずりを聞いて大悟することもある。
ベッドで苦しむのは、誰でも喜ばしいことではないにしても、
すべてがマイナスだとは言いきれない。
人生のできごとを、プラスにするか、マイナスにするかは、
その人の心のもち方次第なのだ。
人生はプラス思考でなくては、幸せはつかめない。
【山岡鉄舟】
●平成15年11月 ■慈悲は仏のかたちなりけり
人間にとって一番大切なものは、思いやりの心だ。
どこまでやさしくなれるかで、人間の格が決まってくる。
強いばかりが男じゃない。
やさしい心で、へだてなく誰にでも接していける人はすばらしい。
慈悲は人間の心で、最もうるわしいものだ。
どんなに怨みに思っていても、やさしい心で、
なにくれと世話をやいてくれる人に、反抗はできない。
相手の気持ちの奥の奥までしみとおっていくような
慈悲の心が自分の心の中に満ちあふれている人は、
そのまま仏なのだ。
慈悲の心を育てて生きていきたいものだ。
【至道無難】
●平成15年12月 ■時光箭(や)より疾(はや)し
時は一瞬のうちに過ぎていく。
一瞬一瞬を大切にして、勝負をかけていかないと、
人生は何もすることなく、百年が終わってしまう。
人生は、いまが勝負だ。自分自身とのたたかいだ。
少しでも妥協すると、一瞬のうちに空しく時間は流れてしまいます。
目標をはっきりと定めて、一歩一歩努力を継続していくことだ。
小さな努力でいい。
小石をつみあげていけば、百年のうちには、
形のあるものをつくることができるのだ。

【義雲】
道標へ
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参考著書 出版社 著者
名僧の言葉 中経出版 赤根祥道