ゆめ 人生とは夢、まぼろしである。
いかに地位や財産を得ても、それは仮のものにすぎない。
一回限りの人生だからこそ、悔いなく本質的に生きよ、
というのが「人生は夢なり」の正しい教えなのです。
無心 むしん 無心とは、五欲煩悩による邪念・邪心のないことであり、
思慮分別に基づいてこざかしくあれこれと
造作する心のないことである。
心は絶えずはたらいているものの、
その心は正念・正想だけである。
不期明日 みょうにちを
きせず
明日を期せずとは、明日あるを期待せず、
今日の一日を真理に従って力いっぱい生きること。
一度かぎりの人生を悔いなく、生きがいに満ちて生きるには、
「翌日あるを思うことなく、日々に今日に生きよ」である。
千里同風 せんりどうふう 日本の風も、アメリカの風もみな同じである。
その意味では「千里同風」である。
ところが人間は互いに対立し戦争をくりかえしている。
私たちは同じ地球上に住む人間としても、
千里同風でありたいものである。
一花開天下春 いっかひらいて
てんかはるなり
一花開いて天下春なりとは、
梅や桜の花が咲く春到来の喜びにとどまらず、
この句の背後には、
長い忍苦精進の果てに心の花が開いて悟りが開け、
世界を悟りの眼で眺めることのできた喜びがこめられている。
楽中苦苦中楽 らくちゅうのく
くちゅうのらく
苦楽一如。苦と楽とが表裏一体をなしているのが、
人生を貫く理法であり、
現在の楽のなかに将来の苦の種が宿り、
今日の苦労のなかに明日の楽しみ、
明後日の喜びの種が萌えているのが、
人生の実相なのである。
かん 「関」とは関所のこと。
人生を歩んでいく過程で難しい関門にぶちあたります。
それを一つ一つクリアしていくことによって、
人間として大きく成長するのです。
その先には、関所を感じない境地が開けてくる。
弧明歴々 こみょう
れきれき
およそ人間は、
本来みな円満かつ平等に仏性をそなえている。
しかも、人間だけでなく万物みな仏性をそなえて、
それぞれが大光明を放って調和している様を
眺めうる境涯に到達し、
人生を楽しみたいものである。
花開蝶自来 はなひらけば
ちょうおのず
からきたる
徳の有る人は決して孤立することはない。
一時孤立することがあっても必ず共鳴者が現れる。
花が美しく咲き芳香を放つと、
蝶や蜂がおのずから慕い寄ってくるように、
人々はその徳を慕ってやってくるものである。
惺々著 せいせいじゃく 人間は、ともすれば本性、本心が眠ってしまいがちです。
それが眠らないよう、自分自身を叱咤激励して
「どうだ、目覚めているか?目覚めています」と自問自答して、
本性を呼び覚まさなければいけない。
晴方好雨亦奇 はれまさによく
あめもまたきなり
およそ人生航路には、順境もあれば逆境もある。
そんなとき「晴れ方に好く 雨も亦た奇なり」のごとく、
晴と雨、失敗と成功、順境と逆境とに関係なく、
いつも泰然と生きぬく、達人の人生を歩みたいもの。
朝聞道夕死可矣 あしたにみちをきかば
ゆうべにしすともかなり
「朝に道を聞かば 夕に死すとも可なり」とは、
朝に真実の人の道を開き、
これを体得しえたならば、
その夕に死んだとしても悔いはない。
人間のあり方、生き方を知ることは、
それほどにも重大なのである。
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