【順次、付け加えて行きます】


■観音さまとは?
  
普通われわれが、「観音さま」とか「観音菩薩」とよんでいる信仰対象の正式の名は、旧い中国語訳では「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)となっており、新しい中国語訳では「観自在菩薩」(かんじざいぼさつ)となっている。
日本で最もよく用いられている経典の一つに、『妙法蓮華経』があり、これに劣らぬほどよく知られている経典に、『般若心経』があるが、前者では「観世音」又はその省略名である「観音」と訳され、後者では「観自在」と訳されている。
「観世音」とは、世の人々が苦から脱れようと、助けを求めて発するその声を観じて、ただちに救済する菩薩の意味で、「観自在」とは、一切の人々を観察して、その苦を救うのが自在な菩薩のことである。
観音は、大慈大悲をもって人々を救うのを本願とし、救いを求める者が仏の姿を願えば、その姿となってその人の前に現われ、女性の姿を欲する者には、女性となってその人を苦から解脱させるのである。
『妙法蓮華経』普門品(ふもんぼん)には、このように、観音が三十三身に変化して、人々を救うことが説かれている。
観音菩薩の総体が聖観音(しょうかんのん)であり、それを具体的な姿に造像したものが、千手千眼観音(せんじゅせんげん)とか十一面観音をはじめとする六観音とか七観音になり、更に、三十三化身を三十三観音として現わすようにもなるわけである。
聖〔正〕観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音(じゅんてい)・如意輪観音・不空羂索観音(ふくうけんじゃく)をくみあわせて、六観音とか七観音とよぶのである。
光世音・観音大士・救世観音・施無畏者・蓮華手・大悲聖者などともいう。
 
■観音信仰の歴史
 
『観音経』と通称されている、『妙法蓮華経』の第二十五観世音菩薩普門品によって、観音信仰は広く一般に普及してくるわけであるが、このお経の原梵本が、西暦紀元前後に製作されたと推定されていることからすると、インドににおける観音信仰は、それ以前の、かなり古い時代から存在していたようである。
そのことは、近代における、エローラやサルナートといった、仏教遺跡における発掘によって、聖観音像が発見されていることからしても実証される。
 
更に、四世紀に書かれた法顕の『高僧法顕伝』や、七世紀に書かれた、有名な玄奘の『大唐西域記』などの諸記録によっても、インドや西域地方において、当時この菩薩に対する信仰がかなり盛んであったことが知られる。
現在は中国の一部になっているチベットにおいては、密教系の大乗仏教の流れの一つであるラマ教の教主たる代々のダライ・ラマは、観音菩薩の化身であると神事られてきたのであるから、当然この菩薩に対する信仰には根強いものがあったことになる。
中国の観音信仰は、『正法華経』(竺法護訳 二八六年頃)が訳出されて以降、徐々に盛んになり、『妙法蓮華経』鳩摩羅什訳 四〇八年)の訳出以降は、益々盛んになってくる。
そして前述の、この経典の第二十五品(観世音菩薩普門品)が観音信仰の典拠として重視されてくるのである。
この菩薩に対する信仰が盛んになるにつれて、さまざまな姿をした観音像が造られるようになり、それぞれの観音像の霊験が、口伝や記録によって、一般に広く伝えられてゆくようになる。
日本においては、夢殿観音をはじめ、奈良・平安時代においても、盛んにこの菩薩の造像が行われ、拝まれた。
特に、平安中期より鎌倉初期にかけて、浄土信仰が興起してくると、『観無量寿経』を典拠として、浄土に往生する際に、重要な役割を果たす菩薩としてクローズ・アップされ、更に、『華厳経』の入法界品を典拠として、観音菩薩の浄土としての、補陀落浄土に対する信仰も生まれてくる。
そして、それぞれの寺院にまつられている観音像にまつわる霊験記として現存するものは、枚挙にいとまがないほどである。
なお、平安時代の末期より、三十三化身の数からくる、三十三ヶ所巡礼の風習がはじまり、西国三十三ヶ所をはじめ、坂東・秩父・洛西などの三十三ヶ所の霊場が作られるようになったため、観音信仰は、広く一般に普及するようになった。
道標へ
© Copyright 2001 阿弥陀寺 All rights reserved.

参考書籍 著者 出版社
観音さま入門 大法輪閣
「七観音」経典集 伊藤 丈 大法輪閣